尿管結石がなかったら健康の学びも医療の探求もなかった、工藤清敏先生のお話!
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御堂筋線(Wホテル)
僕にとっては野球で左脚、左膝が折れた日だった
苦難の始まりであった
大学も4年で卒業できず
よく勉強したのに大手企業に就職もできなかった
研究者の道も閉ざされ、大手マスコミにも入れず
挫折感があった
しかしこれがあったから今があると思う
今も膝はおかしい
膝をときどきさする
この小さな苦しみを抱えていたからこそ
今があると思う
今はイエスキヨトシリトルブッダである
お腹はブタっぽい
イエス高須クリニックには到底及ばない
200億円売り上げる美容クリニックなら自家用飛行機もある
僕には200万円のポルシェがある!
売上では負けているが、価値なら似たもんだ
減塩を増塩に変える革命を起こしたら、映画の主人公にもなれるだろう
まあそんなことに必死はこかない
僕はだらだらといい塩の大切さを伝えているだけでいい
医療マフィンに殺されるなんてまっぴらだ
医療利権は守らなければならない
アクセルも踏むがブレーキも踏むさ
大人気にならないように会員制にしてクローズにするといいだろう
取材も受け付けない
10月10日 足折った日
そして尿管結石入院3回
20歳 ボロボロ 意識は挫折感いっぱい
40年後わらしべ塩長者
いたって健康
家族も崩壊させたがみな適当に元気で生きてるらしい
親もさっさと天国行ったし介護生活もない
いっときあったがね
尿管結石がなかったら健康の学びも医療の探求もなかった
あの痛みがなかったら今はなかった
もっとたどれば父が酒癖が悪かったことが僕をここに導いた
それ以外は大好きだった父がいないのはちょっと寂しい
まあでも生きていたらめっちゃ面倒な介護老人になっていただろう