皆さまご機嫌いかがでしょうか?
おもしろブログの南 敏和です。
Aoi Taichi先生の健康に関するお話。
Facebookから引用
個性を大事にしなさい、みんな違って良いのですと大人はよく口にしますが、今の社会を見ていると、それはただの綺麗ごとのように思えて仕方ありません。
小学校や中学校では育った環境や性格、遺伝子、考え方などまるで何もかもが異なる子どもたちが教室という一つの枠組みに属し、集団行動や同調意欲、皆と同じであることがさも重要であるかのように教え込まれます。
友だちは良いものですよ、沢山作りましょうねと言われ、素直に友たちコレクションを増やすことに必死になるのですが、素の自分を出したままだと中々思うように友だちが増えないことにいずれ私たちは気づき、どうやったらあの人に友だちになって貰えるのだろうと考えた結果、いつしか自分の色を真っ白に書き換えて、自分には似合わないであろう服を多少無理してでも着ることを覚えるのです。
高校受験の面接となれば、自分の個性や色を必死にアピールし、ようやく個性が認められる時代が来たかと思いきや、いざ入学すれば試験で良い点数をとり、良い大学に進学することこそが社会的優位なのだと錯覚し、大学受験を迎えてはまた同じ繰り返し。
大学生活となれば、義務教育とはがらりと変わり、自分の個性を思う存分発揮できるような学びの場やキャンパスライフをセレクトできますが、4年経て就活を乗り越えて就職し、大きなグループに属すれば、また同調が求められる生活がやってきます。
自分では全く意識はしていなくても、周りに合わせるということは実はとっても心と身体にとっては重荷であり、これが積み重なって人はいつしか病気になるのです。
私たちの同調意識の根底には、個人の色を発揮すれば周りから浮いて独りぼっちになるのではないか、今まで築き上げたものが全て壊れてしまうのではないかという様々な不安があるのかもしれませんが、これはもしかしたら大きな勘違いなのではないかと私には思えて仕方ありません。
私はなかなか好き嫌いがはっきりしていて、心が小さい面もあり、一部性格がひねくれているところもあり、八方美人でいることが大嫌いで、人と同じ道を進むことを好まない人間ですし、本音で語り合えて初めて大切なお友達だと認識するので友だち自体の敷居も人より高く、わりかしはっきり物を言う性格で、とりあえず人として最低限の常識さえあればそれでいいと思っている程度の人間です。
それでも今こうして多くの方に受け入れられ、お互いを高め合えるようなコミュニティも少しずつ築き上げることができ、これは私にとってこの上ない幸せなのです。
たとえあなたの色が周りに受け入れられないものだとしても、少し場所を変えてみたり、あるいは時を待ってみたら、必ずあなたを受け入れてくれるような、意気投合できるような、心を解放できるような、そんなコミュニティは必ずあると思います。
誰かにとって自分の色を大切にできる時間が今後少しでも増えていけば幸いですし、いずれはそのお手伝いが出来ればなと思っていますし、私自身も自分が持ち合わせていない色に今後どれほど出会えるのかと非常に楽しみにしています。